額田王と大海人皇子とのラブロマンスを伝える和歌がある。
額田王が大海人皇子に送った歌は
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる
大海人皇子が送った返歌は
紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
当時の人々は、和歌だけで状況や気持ちまで表すことが出来たのだ。
1300年以上前の人々の方がコミュニケーション能力が高い。
額田王の服装だが、明らかに大和時代のものとは違う。中国・朝鮮から伝わってきたものだ。
日本の文化が周辺諸国の文化を取り入れつつ、形成されて行ったかがよくわかる。
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